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ゆるネタ 廣森の経歴。廣森の不安定な中学時代

今日もゆるネタですんません!

 

本日は、「楽しかった小学校時代」とは正反対になってしまった、

「不安定な中学時代」です。

 

中学入試に失敗し、豊中市立第1中学に入学。

 

ラグビーかサッカー部に入ろうかなと思っていたのですが、

どっちもヤンキーの集まりみたいな感じで

かなり怖くて、入部を躊躇していたことを覚えています。(笑)

 

あれこれ、どのクラブに入部しようかと迷っているうちに、

中学1年生になって約1ヶ月後、

 

家族の事情で突然の真夜中の引越・・・・。

 

(ご想像にお任せします。(笑))

 

そして、1ヶ月位学校も行かず、

父と離ればなれになり、

家族5人でひっそりと生活していました。

 

母親に「お母さん、俺も新聞配達でもするわ!」と言ったら、

「子供がそんな心配せんでもええ!!」

と叱責されました。

 

とはいえ、母親も内職しかやった事もない無職であったし、

正直、私も働かないとちょっとヤバいんちゃうかなと

2才年上の姉と子供心に思っていました。

 

ちなみに、二つ下と四つ下の妹と弟は、毎日泣くだけでした。

 

しかし、当時の世の中はバブルに突入する頃で、

傘の内職しかしていない専業主婦の母親でも就職出来たみたいです。

 

今思うと、家族が立ち直ったのは、時代もよかったのではないかと思います。

 

中1の六月という本当に中途半端な時期に、大阪市立北稜中学校に入学。

 

突然の環境の変化に馴染めず、全く勉強をしなくなりました。

 

ルックスも平均以下で(笑)、クラスでもほとんど目立たず、

性格的も暗くて、当然、ヤンキーをする根性もなく、

勉強もあまりしないから、勉強もあまり出来ず、

部活にも入っていないからスポーツも出来ずという

本当に「中学の時イケてない芸人でした。」←芸人ちがいますけど(笑)

 

なので、中学の時にバレンタインのチョコなど母親以外から、

一度も貰ったことありません。(笑)

 

そのくせ、バレンタインの時は、

「もしかして、机の中にチョコ入ってないやろか?!」と

ドラマのような妄想をしつつ、ドキドキしながら

「さりげなく、あたかも教科書を取るフリ」をして、

机の中に手と突っ込んでも、

中学3年間、一度もチョコが入っていた事は無かったです(笑)

 

私の中学時代の日常は、

毎日、あまり目立たない私と同じ様な性質の友達と、

その友達の家でおニャン子クラブの「夕やけにゃんにゃん」を見たり、

 

その後、ドラクエⅠとか

スターフォースとか

(16連射の高橋名人と毛利名人の全国キャラバン奈良大会参加。敢え無く予選落ち(笑))

ポートピア連続殺人事件とか

さんまの名探偵とか

スペランカーとか

アイスクライマーとか

ファミスタとかの

昔懐かしのファミコンをしたりする毎日でした。

 

友達と地味に楽しく遊んでいた毎日でしたが、

実は、私の心はすさみきっており、

「こんな苦しい生活に追い込まれたは父の責任」と思っていたので、

「いつか、お父さんに会ったら殴ったろう」と

いつも、思っていました。

 

ところが、中学2年の冬頃、母から

「今度の休みの日に、家族全員でお父さんと会うで!」と言われました。

 

私は「嫌や!」と頑なに拒んでいましたが、

母親から「アカン!あんたも来ー!」と言われ、

しぶしぶ父と再会する事になりました。

 

再開場所はひいばーちゃんが祭られている天王寺にあるお寺でした。

 

母親に再開するといわれて「俺は嫌や!」と言った理由は

父の事を憎んでいたし、この年になると、体も大きくなり、

俺、多分お父さんみたら、殴ってまうやろな・・・。

と思っていたからです。

 

しぶしぶ、再開場所に家族5人で行き、遠目で2年ぶりの父を見ました。

 

しかし、どう考えても昔の父の姿ではないのです!

 

父は身長170センチ、体重90キロの豆タンクみたいな人間でしたが、

仕事の激務と大好きな酒をやめたせいで、なんと30キロも痩せて、

「もやし」のようになっていたのです。

 

その時は、私は、父の懸命な努力と

家族を想ってくれた事が容易に想像出来、

思わず涙が出ました・・・。

 

そして、人目も憚らず、泣きました。←号泣です!

 

その時の私は、父の苦労を全く分かっていなかった事、

父を憎んでいた自分の情けなさ、

本当は心の底から父に会いたかった自分がいて、

父にあえて本当に嬉しかったから、

人目も憚らず泣いたんだと思います。

 

しゃーないですよね!

中学2年言うたら、まだまだ子どもですもん!!

 

その後、今は潰れてないのですが、

当時、御堂筋線中津駅の近所に、

ステーキハウス「フォルクス」があり、

3年ぶりに家族6人で人生2回目のステーキを食べました。

 

あの時のステーキの肉汁が、

今でも忘れられません!!

 

ステーキが食べてすぐになくなるのが寂しかったので、

食べ盛りの私と弟は、フォークで肉を細かく切取り、

少量の肉で、ごはんを大量にかき込んで食べていました。(笑)

 

おかげで、子どもの頃から、

少量のおかずでごはんを食べるクセが

私と弟にはあるので、

今でも、兄弟2人とも「ごはん食い」です(笑)

家族6人で暖かいご馳走を囲み、

あまりにも私たち兄弟は嬉しく、

兄弟4人ともまた、人目を憚らずに泣きました。

(うちの兄弟は全員泣き虫です(笑))

 

その頃の父は、タクシーの運転手をしており、

当時は乗車制限がなく、

毎日睡眠時間3時間に抑えて仕事に明け暮れ、

家族を迎えに行くまでは酒も絶って、

質素な生活を送って頑張っていたようです。

 

父との再会から、私は精神的な充足も得てか、

時を同じくして寺子屋式の格安の塾に通い、

成績も少しづつ上昇し、

少しだけ明るくなったような感じがします。

 

中学3年になったばかりの春頃は、

担任の先生からは、大阪府立の下位クラスの公立高校受験を勧められましたが、

冬の面談では、大阪府立池田高校合格のお墨付きを頂くようになりました。

 

そして、晴れて、大阪府立池田高校に、なんとか入学する事が出来ました。

 

「頼むから私立行かんといてくれ!」と親から言われていたので、

はじめての親孝行が出来たのではないかと思います。

 

本当に浮き沈みの激しい、中学時代でした(笑)

 

今でも、昔の話を父と飲みながら話をすると、

 

2時間ぐらい、話しが止まりません(笑)。

 

挙句の果てには、家族全員で泣いてしまいます(笑)

 

地獄を見て、そこから這い上がった、父親は

本当に偉大やったと思います・・・。

 

次回の日曜日は、

 

「最高の友達に巡り合えた、最高の学生時代について」の

 

ゆるネタで行きます。(笑)