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ゆるネタ。 廣森の経歴 幼少時代編

毎度です

 

不動産営業出身 大阪・吹田市の

FP(ファイナンシャルプランナー)兼

司法書士 廣森良平です。

 

 

これから、毎週休日はゆるネタでシリーズもん

やって行こうと思います。

 

そこで、

 

廣森良平の幼少時代から現在まで。

うっとおしい人は読まないでください。

ですが、同世代はかなり共感できる部分があると思います。

(笑)

小学校時代、住んでいた地域は大阪府豊中市上津島というところです。

 

私は、上津島と今在家の境目にある

「パルナス」の工場のとなりのマンションに住んでいました。

 

兄弟4人いたので、兄弟の誰かかが誕生日の時とクリスマスの時だけ、

母親がパルナスの工場に行って、安くケーキを購入しておりました。

 

それが本当に楽しみだったです。

 

2年生~5年生頃までは、毎日、てい球(ゴムボール)野球をしたり、

園田競馬の裏側の川やテトラポッドで

ザリガニ釣り、ザリガニ取りに明け暮れておりました。

 

するめを餌に、そして、するめを買うお金が無かったら、

殿様カエルを捕まえ、

殿様カエルの皮を取ったもの(これがよく釣れるんです!)を

餌にして釣り上げていました。

 

さらには、千里川の川の堤防の法面を指先、足先に引っ掛けて、

上り下りしたり、

 

建築中の建売住宅の屋根の上をぴょんぴょん跳ねたり、

 

あしなが蜂の巣をたたきつぶす部隊を編成したり・・・。(笑)

 

今では考えられないような危険な遊びをしたりしてました。(笑)

 

当時は、仲間内で誰が一番高いところからジャンプできるか、

誰が一番危険な事を犯せるか、

誰が一番高い所まで登れるか、

誰が一番恐怖を克服してるか、

誰が一番根性があるかという遊びに

スリルを感じていたのかもしれません。

 

下手すると大けがを通り越して、死んでしまうような遊びもしていました。

 

おそらく、僕らの世代の小学校時代というのは、

ものすごい危険な遊びを平気でしたてと思うし、

今、そういう光景を見ると、

「危ないからやめなさい!」と

私も見知らぬ子にも言ってしまうでしょう!

外で活発に遊ぶのも多かったですが、

近所の駄菓子屋さんでよく、

10円から高いので50円ゲームでも遊んだりしてました。

 

よくやったゲームは、

インベーダー、

ギャラクシアン、

ドンキーコング、

ドンキーコングジュニア、

パックマンです。

 

当時は、ファミコンがまだ無く、

いわゆる、「リセット」をして

やり直しをする事が出来なかったので、

常に少ない小遣いの中でゲームを少しでも長くしたいという一心で、

真剣にゲームをしてました。(笑)

 

特に、パックマン等はパターンがるので、

それを人がしているのを見て、よく覚えたものです。

 

本当は、庄内や曽根、

尼崎市の園田のゲーセンで遊びたかったのですが、

当時はカツアゲが流行っていたので、

小学生同志では、とても行くことが出来ず、

ちょっと、怖い年上の人に

金魚のフンのようについて行ったものでした。(笑)

 

当時は、ちょっと怖いヤンキーの人の子分になっている友達が

すごくうらやましかったです。(笑)

 

なぜなら、中学に上がっても、

多少の身の安全が確保されるからです(笑)

 

小学校4年頃から剣道を習い始め、

小学校5年位から進学塾に通うようになりました。

週3回は剣道、週4回は塾という多忙な毎日を過ごしていました。

 

剣道は夜の6時から、塾は5時から10時頃までだったので、

剣道の日だけ、友達と夕方まで遊んでいました。

 

そして、小6の冬に、神戸市灘区の六甲学院中等部を受けました。

 

しかし、あえなく撃沈。

 

中学には落ちましたが、心の底では、

仲の良かった友達と豊中1中に行くことの方が

とても、うれしかったのかもししれません。

 

ですが、心の中では、小学校6年時点で、

志望高校は第一学区最高峰の北野高校を本気で狙ってました。

 

次回は、廣森 良平の中学時代を書いていきたいと思います。

これは知っておいて欲しい記事です。是非お読みください。