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廣森の経歴 高校時代
廣森の経歴。最高の友達に巡り合えた、最高の学生時代 その11
毎度です
不動産営業出身 大阪・吹田市の
FP(ファイナンシャルプランナー)兼
司法書士 廣森良平です。
本日は、のほほーんとしていた浪人時代のお話し。
当初(高1の冬頃)より予定していた浪人時代に突入!←早や!(笑)
私は、大阪淀川区十三にあった大阪北予備高
(通称「キタヨビ」)に入学しました。
大阪在住の人はご存じのとおり、
受験生の誘惑 のとても多い
「飲み屋」、「パチンコ」、「雀荘」等の
満載のエリアです!
とても、勉強をするという環境ではありません。(笑)
そう考えると、十三にある北野高校の学生って、凄いですね!
そんな話はさておき、
私は、国立文系の一番下位クラスになりました。
司法書士受験の時は、
1日15時間位勉強しましたが、
浪人時代は、1日15時間位、
麻雀かパチンコかバイトをしていました。←もっと、勉強しろ !
なので、キタヨビにもあまり行かず、
勉強もちょこちょこする位でした。
本当に人生を捨てているとしか思えません!
当時、テレビで放送していた
「予備校ブギ」の織田裕二よりも勉強していません(笑)
そんな、生活を秋くらいまで送り、
秋ごろに受けた模擬試験の結果を見ると、
偏差値38・・・・。
現役時とほとんどかわってません!!
この時、初めてお尻に火が付きました!←僕の性格なのかも知れません
なんせ、親から二浪したら就職せえ!と言われていたので、
そこから、猛烈に勉強をしました。
目標は神戸大学経済学部です!←無謀!?
そこで、私が使用した参考書や問題集は以下のとおりです。
数学は赤チャート
英語長文読解は「英文解釈教室」
英熟語・構文は「英語頻出問題演習」
英単語は「試験に出る英単語」
現代文は「田村の現代文講義」
古典は「土屋の古文講義」
日本史は「切り捨て御免の日本史」
地学は「セミナー地学」
センター試験過去門
神戸大学過去問
以上です。
12月頃の模試では、一時、数学の偏差値70オーバーをたたき出した位で、
あとは60前後位だったと思います。
しかし、勝負は試験当日まで分からない!と言い聞かせ、
懸命に勉強しました。
年が明け、センター試験です!
しかし、センター試験で時間配分のミスで、
800点満点中、560点くらいしか取れませんでした。
目標は680点だったので、大失敗です!
今でも、なぜあんな失敗をしたのかがワカリマセン!!!
神戸大学は1次重視なので、到底、受かるような点数ではありません!
他の公立大学受験も考えましたが、どれも1次重視です!
ここは、心を入れ替え、関西私大に照準を合わせました。
目標は関西大学のどこかです(笑)←もっと、経済や法律について勉強したいとかないのか?!
ところで、関西大学は特殊な試験傾向がありました。
まずは、国語で「口語文法」毎年出ます。
そして、200点満点中50点分の漢字の問題。
日本史は「戦後史が出ない」
「太平洋戦争あたりが頻出」でした。
なので、口語文法の参考書と問題集を購入して試験までに解き、
駿台予備校が出している漢字の問題集を完璧にし、
日本史も戦後史は手を抜き、←手を抜く事だけは天下一品!
太平洋戦争あたりを日本史用語集の丸暗記です。
日本史の予想はまさに的中しました!
関西大学の法学部・経済学部・商学部・社会学部・文学部と受験し、
法学部・経済学部は落ちたと思い、
商学部・社会学部・文学部は合格したと思いました。
2月14日が法学部・経済学部・商学部の合格発表で、
2月15日が社会学部・文学部の合格発表です。
しかし、なんと!?
絶対受かっていたと思っていた商学部・社会学部・文学部が落ち、
絶対に落ちたと思っていた経済学部だけ受かっていました。
しかも、社会学部は合格最低点291点で、私は290点だったのです!
奇跡です!
もし、経済学部も落ちていたと思うとゾッとします!
そして、アメフトのチームメイトで
一番仲の良かった友達も関西大学の社会学部に入学です。
なにわともあれ、仲の良かった友達と、
来春から花の大学生です!
しかし、花の大学生とは全く反対の、
泥臭~い大学生生活を送る事になるが、
この時は、まだ知る由も無かったです・・・。
以上
不動産法務・不動産実務・不動産登記に特化した、
不動産業界出身司法書士兼
ファイナンシャルプランナーの廣森でした。