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廣森の経歴 社会人1年目
ゆるネタ。廣森の経歴 激動の猛烈新卒営業マン時代 その13
毎度です
不動産営業出身 大阪・吹田市の
FP(ファイナンシャルプランナー)兼
司法書士 廣森良平です。
本日は日曜日なので定番のゆるネタです。
ちなみに、本日は、廣森の経歴シーズン5、
「激動の猛烈新卒営業マン時代」の最終話です。
さて、いよいよ退職までのカウントダウンです!
朝8時にスーツで出勤し、
すぐに、「つなぎ」という作業着に着替え
両手には軍手です。
私は月曜日から土曜日まで毎日、
建設機械の掃除、ヤード(建設機械の保管場所)の掃除、
建設機械を取りに来る業者の対応や搬出のお手伝いをしていました。
ちなみに、
そのヤードは瀬戸内海沿いにある所なので、
風が吹くと、潮の薫が漂い 、
そして、ほとんどが屋外 での仕事なので、
力仕事で汗もかき 、
傷ついた僕の心を癒すには
とてもいい環境でした。
↓ヤードから呉方面の景色をみるとこんな感じ↓
↓ヤードから広島市内の景色を見るとこんな感じ↓
↓通勤の道はこんな感じ↓
↓少し、車を走らせるとこんな感じ↓
休憩時間は瀬戸内の海を見ながらタバコをくゆらせ、
今までの会社の思いでに浸ったり、
これからの決意を再度確固たるものにし、
色々考えるにはとてもいい環境でした。
ところで、今まで、散々、
新卒で入社して会社での出来事を
面白おかしくお話ししていますが、
でも、今思えば、
社会人としての基本
仕事の基本
営業の基本
仕事の尊さ
仕事のやりがい
社会人としての使命
仕事に対する責任感を
この会社は私に叩き込んでくれました。
そして、以上の事を一番教えてくれたのは、
今でも連絡を取っている仲良しの先輩でもなく、
事業部長だったかも知れません・・・・。
このブログで事業部長の事を
多く引き合いに出していますが、
僕は事業部長の事が
ある意味一番大好きで
尊敬していたのかも知れません。
震え上がる位、怖かったですが、
やはり、最年少で事業部長になったのは事実だし、
現在は、その会社の中枢の取締役にまで出世なされています。
実は、ここだけの話 ←(ブログで言うとここだけにはならない(笑))
今でも、部長の夢を見ます・・・・。
内容は、
僕が新卒で入社した会社に
出戻りで再度、中四国事業部で働く内容です。
恐らく、心の中で、
1年で会社を辞め、
なにも築きあげる事の出来なかった
自分に対する憤りや腹立たしさや情けなさから
くるのだと思います。
司法書士になる前に見た夢は、ほとんど、
1年目の状態をトレースしたような状態の夢でした。
悪夢です (笑)
寝汗をかき 、
寝起きが悪い事ウケあいです (笑)
しかし、
不動産営業を経験して司法書士になった後は、
僕が不動産事業部を立ち上げて、
そこのトップで仕事をしている夢です。
恐らく、夢で部長を見返したかったんでしょうね~(笑)
いつか、ご縁があれば
公私ともにお話しをしたいと
心より思っております。
本当に、今となれば、
冗談ではなく、部長には心より感謝しています。
話はそれましたが、
ヤードでも仕事は、
4tダンプや4tユニックに乗って、現場に行ったり、
↓4tダンプ↓
↓4tユニック↓
建設機械を搬入する際に玉掛け作業をしたり、
↓こんな感じ。↓
ユンボ(パワーショベル)の移動や練習?!をしていました。
↓ユンボ(パワーショベル)↓
せやけど、
建設機械をいじる仕事って、、、、、、、、、、、、、
めちゃ、おもろいやん
この作業が一通り出来たら、
俺って司法書士に受からんかっても
何やっても食って行けるやん!と思い、
毎日を活き活き と仕事に打ち込んでいました。
よく、若い子で、
建設現場の作業員の仕事は
キツイ・キタナイ・キケンという事で3Kと言われ、
敬遠されがちな仕事と言われていますが、
僕からしたら、
何を言うてんのん!?って感じです。
なぜなら、
仕事が無いことに比べたら、
仕事があるだけで、ものすごい幸せだからです。
若い子がそんな甘っちょろい事を言うててはいけません。!
もしかすると、
朝早く から日が暮れるまで 太陽の元、
体を使って仕事をする方が
人間らしいのかも知れません。
なぜなら、
半分うつ病みたいになっていた僕が 、
朝早くから太陽の元 、体を使って仕事をする事により、
元の活き活きとした自分を取り返す事が出来たからです。
さて、
これから3年間司法書士になるために勉強をしますが、
結果は出さないとあきません!
司法書士最終合格を
一つの新規事業としてとらえ、
受験勉強を勉強ではなく、仕事として定義し、
悔いのない、そして、妥協の無い、
受験生活を送って行こうとより決心が固まりました。
本当に今思えば、
高校の卒業が遅れる位、アホな僕が 、
2年の受験勉強で最終合格が出来たのは、
僕が決して勉強が出来たのではなく、
事業部長から
仕事のイロハを教えて頂くれたお蔭だと思っております。
さて、退職の日が来ました。
5時頃までヤードで仕事を終えた後に、
部長に最後のあいさつです。
僕 「部長、今まで、大変お世話になりました。」
部長 「世の中そんなに甘くない!
俺は、会社を辞めてクスぶっている奴なぞ、腐るほど見てる!」
僕 「いや・・・・。部長の教えて頂いた事を糧に、頑張ります!
絶対、3年以内に合格します!」
部長 「いや!お前は人生を舐めている!
お前は絶対、失敗する!」
僕 「・・・・・・。」
部長 「まあ、もうお前の顔なんか二度と見たくないから早く大阪に帰れ!」
僕 「部長、今まで本当にありがとうございました。」
と深々と頭を下げて、会社をあとにしました。
時は、平成8年3月、
底冷えのする季節で
まだ寒かったのを覚えています。
年は24歳・・・・。
今思えば若いとはいえ、
社会人としての夢が破れ、
ボロボロに打ちひしがれ、
故郷に出戻りです・・・。
そして、
明日から僕は無職です・・・。
何も、誇れるものはありません・・・。
何も、積み上げてきたものはありません・・・。
何も、僕には失うものはありません・・・。 ←(小銭ぐらい・・・。(笑))
なので、
「絶対に3年以内に合格したんねん! 」
「合格してからまた何か積み上げたらエエねん! 」
と心に誓い、
1年間慣れ親しんだ広島をあとにし、
大阪行きの新幹線 に飛び乗りました。
次回から、ゆるねた廣森の経歴シーズン6
「辛くも充実していた受験時代」です。
お楽しみに・・・。
以上
不動産法務・不動産実務・不動産登記に特化した、
不動産業界出身司法書士兼
ファイナンシャルプランナーの廣森でした