ブログ

カテゴリー

廣森の経歴 激動の不動産営業マン時代  その54

毎度です

不動産営業出身 大阪・吹田市の

 FP(ファイナンシャルプランナー)兼

司法書士 廣森良平です。

 

 

 

僕たちの新しい赴任先が決まりました。

 

 

 

場所は、

 

西宮市の北部の方とだけお伝えします。

 

 

 

 

ちなみに、

 

新築マンション販売という図式は、

 

事業主という売主の会社があって、

 

販売をするのは販売代理の会社がする

 

という図式です。

 

 

 

 

 

例えば、

 

事業主(売主) 〇〇不動産株式会社、

 

販売代理 〇〇不動産販売株式会社

 

という風になります。

 

 

 

 

 

さて、

 

マンション販売営業というものはやはり、

 

接客した人によって、多少売れたり、売れなかったりします。

 

 

 

 

 

なので、

 

事業主(売主)からしてみれば、

 

「接客スキルに長けている人」を

 

販売の部隊で欲しいわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ですよね~。

 

 

 

 

 

事業主(売主)からしてみれば、

 

ぎょうさん売ってくれる人のお蔭で、

 

会社の売上が上がるわけですから・・・。

 

 

 

 

 

しかしながら、

 

僕たちの部隊は僕以外

 

全員素人の4名です。

 

 

 

 

 

なので、

 

彼らがやらされたのは接客ではなく、

 

①モデルルームの掃除

 

②営業員の弁当の買い出し

 

③電話帳営業

 

④飛び込み営業

 

⑤チラシ撒きの以上です。

 

 

 

 

 

なんせ、事業主から

 

「接客は廣森さんだけにお願いします!」

 

と言われていたのです。

 

 

 

 

 

しかしながら、

 

いくら素人とはいえ、

 

そして事業主から言われたからと言って、

 

4人の部下に対して接客をさせて貰えなかったのは、

 

自分自身とても悔しかったです。

 

 

 

 

 

理由としては、

 

彼らの分まで僕が売り、

 

僕に力があれば、

 

事業主の言いなりにならなかったのではないか?

 

と思っていたからです。

 

 

 

 

なので、

 

4人の部下には、「掃除も買い出しも電話営業も飛び込み営業もチラシ撒きも大事な仕事や!」「ここでの頑張りを認めて貰えると、いずれチャンスが回ってくる」と言い続けました!

 

 

 

 

なので、休みの前には、しょっちゅう、

 

居酒屋で決起集会をしていました。

 

 

 

 

一方で、私は

 

会社の営業部長

 

(最初は社長と僕の二人の会社なので(笑))だったので、

 

居酒屋で決起集会をするにも、

 

最初の1軒目の安い焼き鳥屋でも、

 

僕が出さないとあきません!

 

 

 

 

幸い、当時は結婚もしていなかったので、

 

貰った給料を全部飲み代に使っていました。

 

 

 

 

なので、この頃は全く貯金なんてしてません!

 

 

 

 

時は今から12年前、平成14年4月の春・・・。

 

 

 

 

齢は31歳になる頃です・・・。

 

 

 

 

今までは、

 

自分の営業成績を伸ばすことだけを

 

必死で頑張ってきましたが、

 

これからは部下を育てたり、

 

モチベーションのアップや部下の管理も

 

しないとあきません!

 

 

 

 

さらに、

 

これからの人生も考えないといけません!

 

 

 

 

不動産営業マンとしての第2の青春時代を迎え、

 

これからの苦悩の日々を綴りたいと思います!

 

 

 

 

 

続きは次回・・・。

 

 

以上
不動産法務・不動産実務・不動産登記に特化した

不動産業界出身司法書士兼

ファイナンシャルプランナー(FP)の廣森でした。

これは知っておいて欲しい記事です。是非お読みください。