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廣森の経歴 受験時代
廣森の経歴 辛くも充実していた受験時代 その17
毎度です
不動産営業出身 大阪・吹田市の
FP(ファイナンシャルプランナー)
司法書士 廣森良平です。
試験当日も38度以上・・・。
実は、色々な事が頭によぎりました。
今年落ちても、
「風邪ひいたから自分の力が
発揮でけへんかったわ・・・。」
と言って言い訳が出来るかも・・・。
と思いまいたが、、、、、、、、、、、、、、、
いやいや
「今までの俺の血のにじむような1年間はなんやってん! 」
「風邪ひいてても大丈夫なように勉強してたんちゃうんか! 」
「風邪なんかに負けてたまるか!!! 」
「やったるわっ! 」
「絶対にやったるわっ! 」
という様な具合で
頭が朦朧 としながらも
テンションはめちゃめちゃ上がっていました。
今思えば、
風邪をひいて朦朧といていたことが
逆に、良かったのかもしれません。
ここで、
少し時間を試験の願書出願日まで
戻したいと思います。
確か、司法書士試験の願書出願は
5月位だったと思います。
京都の法務局まで持っていきました。
理由は
「郵便事故でも起きたらエライ事になるから」です。
そして、
出願開始日が「先勝」だったので、
朝早い事が吉の日です。
なので、
始発に乗って京都地方法務局まで
持っていきました。
到着したのが朝の7時過ぎです。
門の前で待っていると守衛さんが来て、
「どうされました?」と聞くので、
「司法書士試験の願書を出しにきました。」と伝えると、
「ちょっとだけ待って下さい」
と言われ、朝の8時ちょうど位に受付をしてくれました。
すると、
なんと、私が一番トップバッターだったので、
受験番号は「1」番でした。
「よっしゃー1番や!! 」
「この受験票を記念に一生もっとこう!! 」
と奮起したものでした!
さて、
ここで、また平成10年度司法書士本試験
当日朝にもどします。
朝起きて、1階の居間に行くと、
母と弟がなんか知らんけど早く起きてます。
僕 「お母さん、アカン・・・。まだ、8度以上あるわ・・・。」
母 「あっそう。」
僕 「あっ!それと昨日も言うたけど、弁当イランから・・。」
母 「そんなもん、作ってへんで。」
僕 「風邪ひいてるけど、とにかく全力出し尽すわ・・。」
母 「そやな。」
という様に、
今日は大変な日やというのに、
しかも僕は風邪を引いてるのに
エライ二人ともそっけなく、
二人から話しかけられるのでもなく、
そそくさと家を出ていきました。
後になって、弟から以下のような事を聞きました。
『お母さん、あー見えてもエライ心配しーやんか!?
だから、朝兄ちゃんに「大丈夫か?!」
「忘れ物ないんか?!」とか
どうでもいい事を色々と話かけてくるやん!!』
『でも、兄ちゃんに「大丈夫?!」って聞いても、
「大丈夫」って言うしかないやん!』
『兄ちゃんのためにも、そんな色々な事聞いてもしゃーないから
絶対に「大丈夫か?!」とかどうでもええ事を聞かんように
お母さんに釘刺しといてん!?』
と弟から聞きました。
弟なりの僕に対する思いやりです・・・。
合格後、二人で飲んで以上の事を聞いた時
「こいつ、21歳の若さですごいな・・・。」
と思いました。
さて、
ここで、弟の話をすると
弟は中学時代にグレて
中学2年生で暴走族に入る札付きの悪でした。
当時はしょっちゅう、
大淀警察に姉や母親が弟を保護しに行ったものです。
このままでは弟は中学を卒業すると
ヤクザになってしまうと両親は危惧し、
無理矢理環境を変えて、
弟が中学3年生になる前に転校をさせました。
そして、転校後、
英語のアルファベットも掛けない様なアホな弟が、
懸命に勉強し、晴れて大阪の公立高校に入学し、、
高校3年時にはラグビー部のキャプテンをするという、
なんともスクールウォーズみたいなおもろい奴です(笑)
しかし、
今や社員2名・アルバイトを50人位雇う、
飲食店を数件経営する青年実業家です!
今思えば、
弟がここまでの人間になるのも分かる気がします・・・。
すみません!
ちょっと、前置きが長くなりすぎたので、
以上
不動産法務・不動産実務・不動産登記に特化した、
不動産業界出身司法書士兼
ファイナンシャルプランナーの廣森でした