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水難事故のニュースを見て思うこと~失踪宣告について~

夏になると水難事故のニュースを頻繁に耳にします。

我が子が水難事故にあった親の気持ちを考えると

本当に悲しい気持ちになります。 

一方、大人が水難事故にあったニュースを見ると、

同じように悲しい気持ちになりますが、

我々法律家は少し違った観点で、その水難事故について考えてしまいます。

それは、

「仮に遺体が見つからなかったときは、もっとつらいだろうな」と・・・。

1 失踪宣告という制度

(1)普通失踪

正当な理由なく、7年間以上生死不明であるときに利用できるものです。

特に災害や事故があったわけではなく、

例えば「ある日、突然どこかへ出て行ったまま戻らない」

といった場合が該当します。

(2)特別失踪(危難失踪)

こちらは戦争・災害・「事故」などの危難に巻き込まれた人が、

その危難が去った後1年間生死が不明な場合に適用されます。

たとえば、震災で津波に巻き込まれて消息を絶った人が、

1年経っても見つからないようなケースです。

2011年の東日本大震災後には、この特別失踪の申立てが多数行われました。

以上の二つの失踪宣告という制度は、

法律的に失踪した人を「死んだことにする」という制度です。

2 一家の大黒柱のお父さんが水難事故にあった場合における現実的な問題

一家の大黒柱のお父さんが水難事故に巻き込まれたとしても、

残された家族は日々の生活を送っていかなければなりません。

そこで、生活費をねん出するため、

お父さんの定期預金を解約しようと思っても、

お父さん本人でないと定期預金を解約することが出来ません。

また、大黒柱のお父さんが、仮に若くして死亡した場合、

死亡保険に入っていたとすれば、死亡保険金が入ってきます。

しかし、水難事故で遺体が見つからない場合、

死亡ではなく、生きているかも知れないから、

死亡保険金は遺族に支払われません。

以上より、たちまち、残された家族は生活に苦しむことになってしまいます。

3 前記2の現実的な問題の対処

では、どうするのか?

勘のいい読者ならお分かりと思いますが、

前記1の(2)の特別失踪(危難失踪)という制度を利用して、

大黒柱のお父さんを法律上「死んだことにする」のです。

4 残された家族たちの思いを推察すると

一家の大黒柱のお父さんが水難事故にあった場合、

残された家族は次のように思っているでしょう。

「いつか元気な姿で何事もなく、ふらっと帰ってくると・・・。」

しかし、一方で「現実的には、絶対に溺れて死んでいるであろうと・・・。」

残された家族たちは、この二つの相反する気持ちで、

非常につらい思いをするはずです。

そこで、失踪宣告という制度を利用して、

残された家族がお父さんを「死んだことにする」という

残酷ともとれる決断を迫られるということになります。

私も読者の皆さんも、

この家族の哀しくてつらい気持ちは容易に推察できると思います。

5 残酷さとその裏にある必要性(失踪宣告の民法上の制度趣旨)

とはいえ、民法にこの制度があるのは、やはり意味があります。

それは、大黒柱のお父さんの「生死」がはっきりしなければ、

残された家族はいつまでも不安定な状態に置かれます。

言い換えれば、

失踪宣告は残された者の人生を再出発するための制度です。

また、残された家族は大黒柱のお父さんがいなくなってからは、

時が止まったままと感じていると思います。

なので、失踪宣告という制度は、

残された家族のそのような止まった時間に区切りをつけ、

新たな時を刻むという、

地に足をつけ、人間らしく強く生きるための制度であるといえます。

これは知っておいて欲しい記事です。是非お読みください。